Aug 08, 2011

自分だけのサッカーユニフォームについて

TVでスポーツ選手との対戦時に自分専用のサッカーユニフォームを見たことが数回あります。私はサッカーのユニフォームを持ってはいませんが、サッカーを見たアリスが大好きで、機会があれば、自分専用のサッカーユニフォームを作っていただき、身に着け、サッカーの試合をさせていただきたいと思っていました。
自分の趣味は何かというと、スポーツクラブで汗を流すことと思います。スポーツクラブは、いつも一人だと動かないという場合にも足を運ぶ場合は、周囲の人たちも熱心にしているので、自分も頑張ろうという気持ちで作られています。また、様々な機関もあるので、今日はこれをしようと決定存分にすればダイエットになるだけでなく、気分転換にもなります。
【望郷の夏】

 7月末、札幌市内のホテルで開催された被災地の子供たちのためのチャリティーコンサートで、バイオリニストの大平まゆみさん(54)は、「ツィゴイネルワイゼン」などとともに日本の唱歌「故郷(ふるさと)」を演奏した。仙台市の出身で、現在も母親や妹家族が住んでいる。「『故郷』は、弾けるようになるまで何日もかかりました。震災直後は涙がこぼれてしかたがなかった。今日は弾けてよかったです」と笑顔を見せた。

 3月11日、なじみ深い仙台空港に津波が押し寄せるニュース映像を目にして、大きな衝撃を受けた。母親や妹らとは一晩、連絡がつかなかった。青葉区の実家は被害はなかったが、83歳の母親は避難所で一夜を明かしたという。

 「1カ月くらい体調不良でした。気がつかないうちにすごく落ち込んでいたんですね。知り合いですぐに現地にボランティア活動に行かれた方からは、大平さんはまだ来ちゃだめだ、といわれました。あまりにも悲惨すぎるって。確かに今私が行ったところで、何もできない。音楽が必要とされるのはもう少し後じゃないかな、と思いました」

 高校で単身、東京に出た大平さんにとって、故郷は家族との思い出の場所だ。ゆったりとした空気が漂っていて、七夕まつりや花火大会をみんなで見にいった記憶がよみがえる。笹かまぼこやずんだ餅など食べ物もおいしかった。「住みやすくて、あったかくて、緑が多くて、仙台にしかない言葉、仙台にしかないにおいがある。テレビで被災した方々へのインタビューを聞くと、懐かしい響きを感じますね」

 以前からチャリティー活動には積極的で、阪神大震災では仮設住宅を訪れるコンサートを4年ほど続けたが、今回はなかなかその気にならなかった。「音楽家として、というより人間として、何にもしてあげられないという非力感を覚えます。音楽の力は信じているんですが、どのような形でいつすればいいのか、自信がないんです」

 だが、津波で沖合に流された人が大きな声で歌うことで自分を勇気づけていたというエピソードなどを耳にすると、音楽って必要なんだなと思う。6月には、新潟県に避難してきている赤ちゃん連れのお母さんを前に演奏を披露したほか、7月に入って少しずつチャリティーコンサートの機会も増えた。10月には震災後初めての被災地での演奏会を宮城県石巻市で行う。このときに故郷の仙台も訪れるつもりだ。

 「東北の人ってとても我慢強いですし、絶対に復興されると思う。支援は長く続けることが大事。私にできることを一つ一つやっていこうと思っています」

 〈おおひら・まゆみ〉昭和32年、仙台市生まれ。東京芸大付属音楽高校を卒業後、同大学入学3カ月後に米サンフランシスコ音楽院に招待留学。国内外での活躍を経て、平成10年から札幌交響楽団コンサートマスターを務める。現在は札響の活動のほか、年間200以上の公演を精力的にこなしている。

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茨城・笑顔でがんばっぺ(1)

 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた大洗ホテル(茨城県大洗町)。夏休みを前に、ロビーや客室を大幅に改装した。大きな爪痕を残した震災から心機一転で迎えた夏。ホテルの利用者は昨年の半分以下にとどまっている。だが、榊原真一支配人(43)は「大洗はようやく元気になった。沈むことなく、積極的に頑張っていきたい」と明るい表情で仕事に向かう。

 同ホテルでは津波で1階が浸水。海が見える自慢のロビーには流された漁船が突っ込み大きく損壊した。

 榊原さんは「あのときはホテルが再開できるなんで想像できなかった」と振り返る。急ピッチで復旧を進め、4月23日に営業を再開。「常連の方にお越しいただいて励ましてもらったとき、お客さまの大切さを感じた。感無量だった」

 同時に「この仕事の楽しさも感じることができた」と話す。ホテルマンとしてのやりがいにも、改めて気がついた。

 それは他のスタッフも同様だった。例年だと首都圏から訪れる大勢の海水浴客で客室が埋まるため新たな誘客策に力を入れる余裕がなかった。だが、今年は客足が減少したことをきっかけに、「スタッフが自分たちでお客さまを呼んだり、イベントを企画したりするようになった。『自分たちが何をすべきか』ということを考えて仕事に向かうようになった」という。

 その一つが、同ホテル営業課の島根隆幸係長(36)が参加するインターネット放送局「大洗ほげほげ放送」だ。大洗で開かれたイベントなどを動画で配信する。島根さんは設立の理由について「震災で生まれたネガティブなイメージを払拭するには、自分たちでも良い情報を発信する必要があると考えたから」と説明する。

 あるテレビ局は片付けられて海岸の片隅に寄せられているがれきを撮影し、放送では「いまだにがれきが残っている」。多くのメディアが津波や放射能汚染などマイナスイメージを強調する紋切り型の取り上げ方に終わっている。「大洗は安全ということを伝え、イメージアップを図らなくては」と考えた。

 榊原さんたちは震災後の5カ月を振り返り、「震災はなかったら一番良かったが、そうとばかり言ってられない。この震災を自分たちを変える機会として受け止め、積極的に仕事をしていこうという気持ちを持っている」と話す。

 「私たちの気持ちが沈んでいると、お客さまも来づらくなる。必ず客足が戻ると信じて、前向きに頑張っていく」

 震災の被害は小さくないが、ピンチに自分たちができることをやろうと動き出している。次のチャンスに備えるために。(前田明彦)

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